カナタ
キラキラと波が光り、沈みかけた太陽が水平線を照らす。
砂浜には長い影。足元の貝殻を拾って天を仰げば、頭上には星が輝き始めている。
波の音を背に街へ向かう。
やがて一粒、二粒と雨が降り出した。
街明かりに雨粒が光る。行きかう恋人たちは傘を広げて肩を寄せ合った。傘の下で手をつなぎ、頬に口づける。
来た道を振り向けば、遠くの海はまだ夕暮れの色を残していた。そちらにも雨雲が少しずつ近づいていく。勢いを増した雨が靴の中までしみてきた。
雨雲はやがて風を呼び、街はずれの森もざわめきだした。
「……彼方?」
彼が戻ってくるかもしれない。
そんな胸騒ぎがして、莉麻は海へ向かって走り出した。
────
「えっ、莉麻、まだ家に戻ってないんですか?」
部活が終わり帰宅した直後、真斗の携帯に莉麻の母親から着信が入った。
「ええ、そうなの……。真斗くん、一緒じゃなかった?」
「いえ、俺は部活があったので……」
「そう……。こんな時間まで、何処に行ってるのかしら、あの子」
時計の針はそろそろ21時を回ろうとしている。外には夕刻から降り始めた雨が降り続いていた。
(莉麻は夜遊びをするようなタイプじゃない)
それに、ここは過疎が進む小さな離島の街だ。遊ぶところなんて殆どないのだ。
(莉麻、一体何処に……)
思いを巡らせて、ふと気づく。もうすぐ「彼方がいなくなった日」だ。
もしかして、と真斗は思う。
「おばさん、俺、ちょっと心当たりを探してみるよ」
「えっ、こんな時間に悪いわ、私達で探すから……」
莉麻の母親の言葉を遮るように、真斗は電話を切るとジャケットを掴み家を飛び出した。
────
真斗と莉麻と彼方。3人は幼馴染だ。
家が近所だったことと、小さな島の街のため同い年の子どもの人数がそもそも少なかったこともあり、幼少の頃から自然と一緒にいるようになった。
運動が得意で快活な真斗。夢見がちでおっとり気味の莉麻。本好きで賢く物静かな彼方。三人三様、趣向も性格も違っていたが、兄弟の様に育ってきたせいかそんな事は些細な事だった。
(彼方は変わった奴だった。頭が良くて顔も良くて、変に大人びていて女の子には人気があったのに、本人は気付いていないのか気にもしていないのか、関心がなさそうで)
関心がなさそうなのは「女の子に」って言うより……
(人に、と言うか個人に、あまり興味がなさそうに見えたな)
彼方の根幹にあるのは「知識欲」と「好奇心」だ。何かに取り憑かれたかの様に本を読み漁り、様々な知識を詰め込む姿は、狂気すら感じさせた。
知識を蓄える毎に大人びて、年の割に落ち着いた雰囲気を纏う様になり、見目が良いことも手伝って、また更に女子達の憧れの的になるのだ。
あまり他人に興味を向けない彼方だったが、幼馴染である真斗と莉麻に対しては情を感じてはいただろうと思われた。少なからず信頼……されていただろうとは思う。特に彼方を慕う莉麻に対しては、他の女の子には見せない優しさを見せていた。
真斗から見た彼方は、「変わったヤツだけど何でも知ってて面白い、いいヤツ」だったが、それが「ライバル」に変わったのは小学校6年の修学旅行の日だ。
修学旅行と言っても遠征する訳ではなく、本島に渡って一泊し、歴史的な場所を見て回るようなものだったが、知らなかったこと、歴史的なものに触れられる喜びか、彼方は始終目を輝かさせて楽しそうにしていた。
その夜、男子部屋でも修学旅行定番の「好きな子、気になる子」の話題で盛り上がり、誰かが……あれは、啓太だっただろうか……真斗に話を振ってきた。
「そういえばさ、お前ら3人、仲いいよな。莉麻のこと、どう思ってんの?」
「ど、どうって……幼馴染だし……」
「ふうん? じゃぁ、彼方は?」
(この手の話、彼方に振ってもやんわり躱されるだけだぞ?)
解ってないな、と真斗は呆れ気味に思ったが、話を振られた彼方は意外にも、ふ、と笑顔を見せた。余程機嫌が良かったのだろう。
「莉麻は可愛いよね」
その言葉からは特別な感情を読み取ることは出来なかった……例えば妹を可愛いと言う時や、ペットの子犬を可愛いと言う時と同等の感情しか汲み取れなかった……が、真斗は急激な焦燥感に駆られた。
(確かに彼方は莉麻に対しては他の女子とは接し方は違う。けど、それは家族的な親愛であって、基本的に彼方は他人に興味がない。そう思って安心してたんだ)
莉麻がもうずっと前から彼方を想っていることには気がついていた。でも、その想いを彼方が受け入れることはないと思い込んでいたのだ。だから莉麻が彼方のものになる、なんてことは全く考えていなかった。
でも、そうでないとしたら……?
(……そうか、俺……。莉麻のことが、好きなんだ)
真斗が自分の気持ちを自覚したところで、莉麻が彼方を好きなことも、彼方は相変わらずマイペースで知識欲に正直なことも変わらず、3人の微妙なバランスが崩れることはなかった。
……彼方がいない、今でさえも。
────
莉麻が浜辺に着く頃にはすっかり陽は落ちて、辺りは宵闇に包まれていた。
夕刻から降り始めた雨は、静かに浜辺に降り続いている。気持ちが急いて走ってきたために今は暑いくらいだが、11月の雨は否応なく熱を奪い、じきに身体の芯まで冷えることだろう。
(雨降るなんて思わなかったな……傘、持ってくればよかった)
しっとりと濡れた髪から雫がこぼれ落ちる。
(解ってる……本当は解ってるんだ。ここにいても何も起こらないって)
それでも、この場を動くことが出来なかった。
5年前、この浜辺で彼方が消えた。
……本当に、忽然と消えてしまったのだ。
5年前、小学校の卒業も見えてきた11月の穏やかな日の放課後、彼方と莉麻、真斗の3人はこの浜辺に遊びに来ていた。浜辺で貝殻を拾ったり、他愛のない話をしたり、ただ海を眺めたりと、いつものように過ごしていた。
(あの日も今日みたいに、夕方に急に雨が降りだしたのよね)
急な雨に慌てて、鞄を拾うために真斗と莉麻は一瞬彼方に背を向けた。
「ほら、彼方の鞄……」
そう言いつつ振り向いた時、そこに彼方の姿はなかったのだ。背を向けたのはほんの数秒間だけなのに、忽然と……まるで神隠しにあったかのように。
慌てた2人は雨の中彼方の姿を探したが、彼方の姿を……その痕跡すら見つけることが出来ず、大人たちによる捜索でも、彼を見つけだすことは出来なかった。
結局大人たちの間では、彼方は「高波にさらわれた」事故として処理されることで決着した。
けれど、3人は波の届かない場所にいたし、莉麻と真斗が振り返った時、海に続く足跡などを見つけることは出来なかった。背を向けた一瞬で波が届く場所まで移動出来たとは思えないし、だとしても、少なくとも海辺に姿を見つけられた筈なのだ。
だから2人は、これが「波にさらわれた事故」ではないことを知っているし、莉麻は彼方が生きていると……いつか戻ってくると……強く信じているのだ。
「……彼方……」
祈るように呼ぶ名前は波の音にかき消され、誰にも届くことはなかったが、じんわりと莉麻の心を温める。
この5年、真斗以外の誰も彼方の名を出さなくなっても、莉麻だけは片時も彼を忘れたことはなかったし、忘れられる筈もなかった。
彼方と初めて出会ったのは、莉麻が3歳……もうすぐ4歳になるという頃だった。
真斗と莉麻はこの島で生まれ育ったのだが、彼方は島の外から越して来た、いわば「外の人」だった。小さな島では、外へ出ていく者はあれど、外から来る者は少なく、興味とともに敬遠される対象となりがちだが、彼方たちの一家は莉麻の隣に越してきた上、同い年の子どもがいることもあり、莉麻と、向かいに住む真斗との交流も手伝って、この島に馴染むのも早かった。
「てんしさま……?」
初めて彼方を見た時、莉麻はそう言ったのだそうだ。
幼い頃のことのため、莉麻はおぼろげにしか覚えていないのだが、「あんた、彼方くんを初めて見た時、天使だと思ってたのよね」と、母にからかわれたことがある。おそらく、ちょうどその頃気に入っていた絵本が、天使の絵本だったからじゃないか、と母は笑っていた。
彼方は曽祖父が外国の人だったそうで、そのためか整った顔立ちをしており、茶色がかった髪は日に透けると赤みがかかった金色に見えることもあった。その姿を、幼い莉麻は天使だと思ったのだろう。
「ちがうよ?」
柔らかく微笑んで答える彼方の表情は、おぼろげな記憶の中に唯一鮮明に心に焼き付いていた。多分、あの時からもう莉麻は彼方に惹かれていたんだろうと思う。
(……思えば、あの年頃から彼方は大人びていたんだな……)
彼の姿を思い出すと、いつも静かに微笑んでいた。真斗や莉麻の言い出す「冒険」に付き合ってくれたり、困った時に助け舟を出してくれたり……自分が前に出るような事はあまりなく、いつも「見守って」くれているような……そんな姿ばかりを思い出すのだ。
(そういえば……彼方の心は、何処にあるんだろう、って思ったことがあったっけ……)
いつも真斗や自分に付き合ってくれる彼方。それは彼の優しさであり、幼い頃から一緒にいたその延長であり、彼方の心は別の所に在る……別の物を求めている……様に思い、彼方を遠くに感じることがあった。
(それを強く感じたのは、何時だったっけ……)
過去の想いを手繰り寄せる。大人しい性格に見えて、知識を得ることに貪欲で、外で遊ぶより本を読んでいる方が好きな一方、新しい体験や見知らぬ場所には進んで行く様な一面もあった。本に夢中になると、外の音も聞こえなくなるのか、話しかけても返事が返ってこないなんてことは日常茶飯事だったし、真斗も莉麻もそれが彼方だ、と容認していた。
一方で、「新しい知識を得ること」にのめり込む姿を見て、莉麻は彼が遠い存在の様な、遠くへ行ってしまうような、言いようのない不安に駆られることもあった。だから彼方が図書館に行く時には必ずついて行き、彼が本に……知識に飲み込まれない様、こっそりと見守っていたものだ。
(本に飲み込まれるなんて、そんなことある筈ないのに)
ふ、と今よりも幼かった自分に笑ってしまう莉麻。それでもあの、言いようのない不安は日を追うごとに強くなるばかりだった。
(だからあの時、遠くの海を見つめる彼方を見て思ったんだ)
……そうだ、あの日だ。3人で海に来た、あの日。彼方が消えた、あの日。
あの日。小雨が降り出す前、莉麻たちは浜辺に座って海を眺めながら、他愛のない話をしていた。
「来年、俺達何してるかなぁ」
ふと、真斗が切り出した。あの頃、中学に上がったら、なんて話をよくしていたから。前向きな真斗は、早く中学に上がって部活動に入ることを楽しみにしていたから、多分不安なんて何もなかったんだろう。
日頃から抱く不安もさることながら、莉麻は中学生になることに対して、凄く大人になるようで、何かが変わってしまうように思えて、嬉しいような淋しいような複雑な思いを抱いていた。真斗の問いへ答えあぐねて、彼方の言葉を待つように彼に視線を向けると、遠くの海を見つめる彼方の横顔が目に入る。
その横顔から、気持ちを読み取ることは出来なかった。
(嗚呼、そうだ。あの時だ)
隣にいる筈の彼方が、不意に遠い存在のように思えた。ここに居るのに心は遠い場所に在る様に思えた。
(来年もその先もずっと、3人の関係が変わらないなんてことはないって、解ってる……けど、彼方がここにいてくれれば、それでいい。連れて行かないで……)
急な不安に襲われて、彼方の名を呼ぼうと口を開いた瞬間、小雨が降り始めたのだ。
「うわ、雨だ! さっきまで晴れてたのに!」
真斗の叫び声に弾かれるように振り返ると、真斗が鞄を置いている場所へ走って行くのが見えた。莉麻も慌てて立ち上がると真斗を追う。
そして………。
「莉麻!」
不意に名を呼ばれ、思考から現実に引き戻される。雨は小雨になっているが、しとしとと降り続き、すっかり濡れそぼってしまっていた。我に返った途端、寒さに身体がガタガタと震えだした。
「……ま、真斗……? なんで……」
「なんでじゃないだろ。傘も差さずに」
怒ったような、呆れたようなため息をついて、真斗は莉麻に傘を差し出す。
「今何時だと思ってるんだよ。おふくろさん、心配して俺に電話かけてきたんだぞ」
言われて初めて、時間という概念を思い出す。慌ててポケットからスマートフォンを取り出し時間を確認すると、時刻は21時をとうに過ぎていた。
「え、あ……もうこんな時間?」
慌てる莉麻の横で、真斗は誰かに電話を掛けていた。
「ええ、見つけました……はい、大丈夫です。多分、その……いえ、じゃぁ、連れて帰りますんで」
通話を終える真斗。
「……もしかして、今の……」
「そ、お前のおふくろさん。凄く心配してたから、一報入れておいた」
「うん……ありがと」
ばつが悪そうに視線をそらしながら礼を言う莉麻に、再びため息を漏らす真斗。
「まぁ、事件や事故に遭った訳じゃなかったから良かったけど……遅くなる時は連絡入れろよ?」
「うん。そうだよね。気をつける」
「じゃ、帰るか」
莉麻の手を掴み、来た道へ戻ろうとする真斗に、莉麻は抵抗するように身体を強張らせ叫んだ。
「待って!」
ゆっくりと振り返る真斗は、怪訝な表情を浮かべている。
「何言ってるんだよ。こんなに冷え切って……風邪ひくぞ」
「真斗、あれからここに来るの、明らかに減ったよね。避けてたの?」
「……お前は逆に、ここに来すぎだよな。……まだ吹っ切れてないのか」
「真斗は……ううん、真斗も、彼方はもう、戻ってこないと思ってるんだね……」
莉麻は幻滅したように真斗から視線をそらした。
「もう5年だぞ?!」
「関係ないよ」
「莉麻、お前だけあの日から一歩も動けてないの、解ってるか?」
「それは……解ってるよ。ちゃんと自覚してる。でも……さ。じゃぁ、真斗は? 真斗はさ、本当は彼方に戻ってきて欲しくないって思ってるんじゃない?」
「……そんな……訳……」
核心を突かれ、真斗は言い淀む。突然姿を消してしまった彼方を心配して、戻ってきて欲しいと、生きていて欲しいと願う気持ちも本心だ。だが、彼方が消えた時、心の何処かでライバルがいなくなったと喜んでしまったのも事実だ。そして、ほんの少しでもそんなことを思ってしまった自分を恥じ、彼方に対して後ろめたく思ってしまっている。だから、この場に足が向かなくなってしまったのだ。
「……ごめん、真斗。言い過ぎた。そんな訳、ないよね」
「いや……。 なぁ、お前、今日ちょっとおかしいぞ?」
彼方のことになると莉麻は強情になる。それは今までずっと変わらないことだ。莉麻にとって彼方の存在がいかに大きなものか……それを思い知らされる度、真斗の心は痛むのだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
彼方のことになると莉麻は強情になる、それは解っていることだが、それでもこんなに強情な莉麻は珍しい。一体何があるというのだ?
「だって彼方が」
「……彼方が?」
莉麻は口ごもり、俯いた。確信のなさからの躊躇いではあるものの、同時に、どうせ言っても解らない、という諦めの気持ちもあるのだろう。
だが莉麻は一息つくと、意を決したようにはっきりと続く言葉を続けた。
「彼方が、帰って来る気がするの」
「何を……」
馬鹿なことを。そう言おうとした真斗の目に、莉麻の背後の波打ち際付近の空間が、ぐにゃりと歪むのが映る。
「り、莉麻、あれ……!」
真斗の狼狽した様子に、莉麻の顔からにわかに血の気が引いた。
真斗が指差す先……莉麻の背後には海が広がっている。
―――水辺には霊が集まる。
莉麻の脳裏にそんな言葉が駆け巡った。まさか、この世のものではない何かが……?
だが、もしそうなら、真斗なら莉麻の手を引いてこの場から離れるだろう。そうしないということは、莉麻が思うものとは違う何かということなのか。
莉麻は意を決して振り返り、真斗の指差す方に目を向けた。
「えっ、何、あれ?」
波打ち際近くの空間が歪んでいる様が、莉麻の目にも映る。蜃気楼のように揺らめく空間は、人ひとり通れるほどの縦に細長い形状をしていた。眼前に現れた非日常の光景に、半ばあっけに取られてふたりは身動ぎもせず、その空間を見つめた。
すると、ゆらり、と大きく空間が揺らいだかと思うと、うっすらと光に包まれた何か……いや、人だ……が、空間を抜けるように突然現れたのだ。
「わっ、何だ?!」
反射的に声を上げる真斗とは対象的に、現れた人影を凝視していた莉麻の目がゆっくりと見開かれる。
「……天使さま……?」
莉麻は、無意識に呟く。
淡い光に包まれた姿は、本物の天使のように莉麻の目に映った。
でも、彼は天使じゃない。
すらりと伸びた四肢に、整った顔立ち。5年という月日は、少年を青年へと成長させたが、面影の残るその顔を、莉麻が見間違える筈がない。
「彼方……!!」
莉麻は懐かしい姿の元へと走り出した。
―――――
彼方がこの街に移り住んだのは、幼少の頃だ。
3歳だったか4歳だったか。普通の人間であれば、物心がつく頃……幼少の記憶として心に残る年頃……だ。人によっては、もっと幼少の頃のことを覚えている人もいるだろうが、多くの人は思い出せる一番古い記憶はこの頃ではないだろうか。
この頃の彼方はまだ空っぽで、何の記憶も経験もない状態だった。
何故なら、彼方には使命があったからだ。
彼は「人間という生き物の情報を集める」という使命を負ってこの地へ降り立った。そのために創られ、記憶というメモリ容量が空の状態で送り込まれた者。それが彼方だ。
創造者たちは地球外の惑星の住人……つまり、いわゆる「宇宙人」という存在だった。
彼らは神ではないし、万能でもない。地球の情報を収集するのも、征服の為ではなく、自分たちの生存のためだった。
彼らは問題を抱えており、それはある意味、絶滅に瀕しているとも言えた。
あらゆる科学の発達した生物だったが故に、一時期は人口増加による派閥の争い、食料問題などにより壊滅的な状況に陥ったが、統一政策を敷くことにより、人々の社会生活、食料生産管理から生命の誕生、人口までを管理するようになり、一見平和な時代を維持することができていた。
しかし、生命の誕生をも人工的に創造するようになっため自然分娩がなくなり、子どもすら、マッチングにより「配属」されるようになった。「家族」は形式上のものとなり、段々と人々から表情が失われていった。
そしていつしか、人々は感情すら失い、アンドロイドのようにただ「生命活動する存在」へとなってしまったのだった。
そして、「これは種の存続危機である」と認識した政府の面々は、文明を持つ生命の営みとは何か、他の惑星の文明や生命の情報を収集するために、新たに生命を創造したのだった。
創造された生命体……「偵察体」……は、創られた命ではあるが、送り込まれる惑星の生命体の生態を模写して創造された。つまり、彼方が「地球人」の姿をしているのはそのためだった。彼らは記憶も何もない空っぽな状態で送り込まれるが、「最低限の現地でのコミュニケーション能力」のみプログラムされているため、特に怪しまれることもなく、現地に溶け込めるように設計されている。
これまで、偵察体は成人、少なくとも青年の年頃の姿の成体が送り込まれることが一般的であった。だが、「家族」や「親子」というものを知るには、幼少期からの様子を見ることが重要ではないか、という意見が上がり、初めて幼児の偵察体を送り込む試験を行う事になった。
そうして創造され、地球に送り込まれた生命体のひとり、「偵察体 96-467号」。
それが、彼方だ。
幼子を送り込むには、保護者となる人間が必要である。そこで、創造者たちは、とある若夫婦の記憶を改竄し、彼らの子供として彼方を地球へと送り込んだのだった。
創造者たちは期待していた……「家族」や「親子」のあり方や「絆」といった精神的なものの情報はもちろんだったが、生命を持って生まれた彼方という「個体」がどの様に育ち、多くの地球人のように「感情」を育むことが出来るのか。
そして、彼らは駒として創造したとへ言え、自らが創造した「偵察体」達へもある種の情を抱くようになっており、偵察体の個体が「幸福」を見出せることも願っていたのだった。
それは、人間を創造したと言われる神が「創造物」である人間に抱く愛情に近しいものだったんかも知れない。
幼子として送り込まれた彼方は、その使命の目的や意図については何も考えなかったし、ひたすらに使命に忠実だった
この島に来る前、彼方はもっと人口の多い都市部に送り込まれ、数年を過ごした。
都市部には「人間」というサンプルが沢山いるし、情報も溢れている。情報収集するにはうってつけの場との判断だったのだろう。
だが数年経過するうちに、創造者たちは、真に求める情報が都会には希薄だと気がついた。
そこで、それまで彼方が集めた情報をすべて吸い上げた後、もう一度真っ更な状態へフォーマットし、小さな島の街へと送り込んだのだ。
だが彼は、人口の少ない小さな島の街に移り住む事に疑問を抱いていた。
使命を果たすためには、やはり情報が豊富で技術の最先端が集まる都市部が良いのではないか、と思っていたからだ。
(でも、上からの命令は絶対。何処に送られても、自分は自分の使命を全うすればいいだけ)
そうして送り込まれたこの小さな島の港街で、彼方は莉麻と真斗と出会った。
彼方にとってふたりは、初めて触れた「同年代の人間」であり、自分を「友達」と認識して構ってくる人間だった。
最初こそ戸惑いもしたし、使命全うのために邪魔に感じることもあった。少しでも多く、広い知識と情報を収集しようと思うも、都心部から離れたこの島では、知識を得ようと思ったら書物かインターネットから得るしか方法がない。幸い、都会から移ってきた両親にはネットがあることが普通であったため、自宅にネット環境は整っていた。
だが、ネットからの情報が得られるとは言え、やはり書物からの情報も重要なものである。自ずと図書館へ通うようになるのだが、そんな彼を自称「友人」である子供たちは放っておいてはくれないのだ。
(何故この地に送られたんだろう。都会にいた頃より効率は落ちているはずなのに)
そんな疑問を抱き続ける日々を送っていたが、移り住んで半年も経つ頃には、初めてできた「友人」や、この地での生活を楽しんでいる自分がいることに気がついた。
それは、莉麻や真斗が「彼方は読書が好きな大人しい性格」と認識し、自分の用件を無理強いしなくなった事も大きいかも知れない。
そして彼方は、人の「思いやり」や「歩み寄り」という感情を知った。
小学校に上がる頃には、自分が同年代の他の子供達よりも落ち着いており、近寄り難い存在と見做されているということを知った。そしてそれをやっかんで何かと突っかかってくるクラスメイトに、人間の「嫉妬」という感情を学んだ。
ある時、そのクラスメイトにあらぬ物損嫌疑をかけられたことがあった。クラスから浮いた存在であったことと、そのクラスメイトからの報復を恐れて、誰も自分を擁護してくれる者がいない中、莉麻と真斗だけが必死に自分の無実を訴えてくれたことがあった。
結局、嫌疑は晴れて、陥れようとしたクラスメイトは担任の先生から注意を受けることになったのだが、最後まで自分を信じて擁護してくれたふたりに「感謝」と「愛情」をという感情を抱いた。
そうやって、少しずつ自分の心も育まれていくのだと気がついてからは、ふたりへの信頼や友情という感情を素直に向けることが出来るようになっていた。
だがそれでもなお、自分の中の優先度は「使命」が最優先であり、いつか「満期」が来たら惑星へ帰るのだと、きっと未練などなく去るのだと思っていた。だから、何処かでふたりに対しても心の中で一線を引いてた接し方をしていたのだと思う。
いつか去る自分は、ふたりの人生に深く関わってはいけないのだと。
そう思っていた自分の心に変化が生じたことに気付かされたのは、小学6年の修学旅行の時だ。
宿泊先の部屋で雑談中に、真斗と自分に向けて啓太が莉麻のことをどう思うかと聞いてきたのだ。真斗はただの幼馴染だと誤魔化していたが、自分に話を振られた時、自然と言葉がこぼれ出た。
「莉麻は可愛いよね」
自分の口から出た言葉に驚愕し、視線を彷徨わせると、複雑そうな表情を浮かべる真斗の顔が目に入った。その表情で、真斗の莉麻への気持ちを悟ったのだが、自分がいなくなっても莉麻には真斗がいるという安心感と、それに反して胸がチクリと痛む感覚と、あの時無意識に発した自分の言葉の意味に、しばらく悩まされる事になったのだった。
だが、その答えにたどり着く前にこの地を離れる時が訪れてしまった。
司令は突然やってきて、そして猶予もないうちに惑星からの船が迎えが来てしまった。
何をおいても任務が最優先だ。
ずっとそう思ってきたし、その気持ちはその時も変わってはいなかった。だがあまりにも急な司令に、気持ちの整理もつかぬまま、そして別れも告げぬまま……彼方はふたりの前から姿を消すことになったのだった。
「任期は成人するまでではなかったのですか?」
船の中で司令官の一人に、彼方は訪ねた。司令官は少しすまなそうな顔をして、事情を説明してくれた。
「そうだったのだが、他の惑星でトラブルがあってね。地球と似た環境だから、君なら適応出来ると思って、応援に行ってもらうことになったんだ」
「そう……なんですね……。解りました」
名残惜しそうな彼方の表情を、司令官は興味深そうにまじまじと見つめる。
「地球に留まりたい理由があったのかい?」
「……いえ……そういう訳では……。任務ですから」
「ふむ……。我々の試みは成功しつつあるのかも知れないな……」
「え?」
「いや……。次の任務が完了すれば、君は惑星に戻ることになるだろう。だが、君が望むなら地球に立ち寄ることを許そう」
「なん……で……」
「勿論、立ち寄らずに戻ることを選んでもいい。次の任務が終わるまでに考えておきたまえ。ああ、君の素直な気持ちで選ぶんだよ。任務だとか使命だとか、そういうものは考えなくても良いから」
「はい……解りました」
この時は司令官の言葉の意味がよく解らなかったが、地球から離れ、日を追う事に地球に対する望郷の想いが募るのを感じた。
地球は使命を果たすために送り込まれた地であり、本来の故郷は別の惑星であるにも関わらず、「望郷」というのは不思議な話だ。それでも、彼は創造されてすぐに地球へ送られ、物心ついてから一番物事を吸収する十数年間を地球で過ごしたのだ。いわば、地球は第二の故郷、いや本来の故郷よりも「故郷」と認識していても可笑しくはないだろう。
地球を離れてからの日々、地球とはまるで違う文化圏の惑星での生活に、悩むことも、行き詰まる事も沢山あった。そんな時に心を救い、支えてくれたのは、思い出の中の幼馴染との日々……そして莉麻の笑顔だった。
(そうか、僕は……莉麻のことが)
地球を離れて初めて「恋」という感情を知った。これも地球での日々で得た感情に他ならないものだ。
だが、遠く離れた惑星で任務に当たる中、創造者たちは他の惑星への干渉の痕跡を残さない様、「偵察体」が任務を終えてその惑星を離れる時に、偵察体に関わった現地の人々から「偵察体と関わった記憶をすべて消去する」というルールを知った。
それは、莉麻や真斗からも、自分と共に過ごした日々の記憶が失われていることを意味する。
流石にこの事実を知った時には絶望に打ちひしがれたが、ふと、あの時の司令官の言葉に疑問を抱いた。
記憶を失っているとするならば……地球に立ち寄る意味は何なのだろうか。
例え、こちらは覚えているとしても、自分を覚えている人が誰もいない地球に行くことに、意味はあるのだろうか。
司令官は、何故僕にそれを提案したのだろうか?
その答えが出ないままこの惑星での任期は地球時間換算での5年目を迎え、いよいよ完遂も目前に迫る中、彼方は、帰郷前に地球へ行くことを選んだ。
(莉麻も真斗も、きっと僕を覚えてはいない)
そうでなくても、5年という月日は少年を青年へと成長させた。例え覚えていたとしても判らないかも知れない。
(地球へ行くのは、この想いを思い出にするためだ)
そして、その日。
彼方は、5年前に姿を消した……地球から去った……時と同じ砂浜に降り立った。
地球での彼の故郷である、小さな島の時刻は夜の21時を過ぎた頃だろうか。季節は11月、初冬
のこの時刻の海辺であれば人目につくこともないだろう。
その読みで、このタイミングでの降下を決めたのだった。
だが、彼の予想はすべて覆される事になる。
`―――――
「彼方……!!」
その声に、弾かれるように顔を上げると、こちらに向かって砂浜を走ってくる人影が目に飛び込んできた。
「なん……で……」
(何で、ここに莉麻が? いや、そもそも何で僕のことが判るんだ?)
予想外の状況に戸惑っている間に、莉麻はその勢いのままに彼方の腕に飛び込んで来る。彼方は少しよろけながらも、彼女を受け止めた。
嗚呼、莉麻だ……この5年間、ずっと逢いたかった、懐かしく愛しい彼女を、彼方は思わず抱きしめそうになったが、莉麻の後ろから少し遅れてやってきた真斗の姿に気づいて、そっと莉麻の肩を押し、自分から離した。
改めて見ると、莉麻がとても小さく見え、この5年で自分が成長したのだということを実感する。一方、真斗は彼方より少し背が高く、がっしりとした頼もしい姿へと成長していた。真斗のことだ、何等かのスポースをしているんだろうな、と、容易く想像が出来た。
(5年前は3人とも同じくらいの身長だったのに)
そう、5年だ。
彼方が知らない、5年という月日が、ふたりの間には在るのだ。
「ふたり共、何でこんな時間に砂浜になんかいたの?」
辺りからは、雨が降っていた様子も見て取れる。
「それは……」
うまく説明出来ず、莉麻が言葉を濁す。その様子に、彼方は一番考え得る可能性を口にする。
「……えっと……もしかして、デートとか?」
「えっ、ち、ちがっ!」
違うのか、と、内心ほっと胸を撫で下ろす彼方。
「いや、それより、お前の方だろ! 今まで何処にいて……というか、一体なにが起きてるんだ?」
真斗の一言で、彼方はにわかに自分の向き合うべき問題へと引き戻されるのだった。
そもそも、ここ(地球)へは帰郷途中の寄り道に過ぎない。
それに、司令官たちの話では、彼方がこの地を離れた時に、現地の人たちの中から彼方の記憶は消されている事になっていた筈だ。それに、もし万が一自分のことを覚えていたとしても、夜間に降り立てば、誰とも会わずに別れを告げられるだろう。
そう思って、今日、この時に彼方は気持ちに区切りをつけるためにここへ「立ち寄った」のだ。
(それなのに、蓋を開けたらふたりは僕のことを覚えていて、この場にいるなんて。こんな偶然……)
偶然、なのか? 本当に? それすら疑わしく思えてくる。
(僕の正体や使命については、明かすわけにはいかない。いや、それ以前に、僕はもう故郷に帰らなくてはいけないのだから)
何故、ふたりに記憶が残っているのか。自分のことを忘れていてくれていたら、こんなに悩まなくても済んだのに。忘れられたくない、という思いと、忘れて欲しいという相反する思いのせめぎ合いに彼方は苦悩する。
任務が完了した「偵察体」がどうなるのか、彼方は知っていた。
「偵察体」は送り込まれる惑星の環境に併せて創造される。つまり、彼方の体は地球に順応した生命体……地球人と同様の生態として……創られた。
だがそれは、故郷の惑星の環境には適さない生態であることを意味する。
帰郷した「偵察体」は、その役割を終え、冷凍睡眠させられ、保管されるのだ。いつの日か、再び任務が発生するその日まで。
(つまり僕は、「彼方」としての役目を終えるんだ。もしも次に目を醒ますことがあったとしても、その時にはフォーマットされて、「彼方」ではない存在になる)
所詮、創られた存在だ。だからそれで良い、とも思っていた。
でも、せめて最後に「彼方」としての心残りを手放したかった。想いはこの地に全部置いて行きたかった。
(それなのに、これだ)
思えば、地球での出来事はいつだってままならない。でも多分、これが「生きてる」って事なんだろう。
「彼方?」
なにも答えず、固まってしまった彼方を訝しんだ様子の真斗の声に我に返る。
「あ、えっと、今まで、ね」
(……駄目だ、何も浮かばない)
その時、司令官からの通信が入った。
―――偵察体 96-467号、聞こえるかね。
(司令官? 一体どうなっているんですか、偵察体が離れた後は人々の記憶を消しているんじゃぁ)
―――まぁ、落ち着きたまえ。……とは言え、こんな事例はこれまではないのも確かだ。
(前例が、ない?)
―――上層部に本件を報告したところ、君に新たな任務が発せられた。
(えっ、次は何処へ……)
――地球だ。任期は、君の生涯だよ。
(……それは……)
――つまり、君は地球人としてその地で生活を続けるんだ。
(地球人として……)
―――我々が失ったもの、それを君が導き出してくれた。我々の惑星で、他者とのコミュニケーションがなくなっていることを君も知っているだろう。コミュニケーションなど取らなくとも、何ら生活に支障はない。技術の進歩により、我々は合理的な社会を造り上げた。
だが、生物らしい社会活動には、時には他者とのコミュニケ―ションが不可欠であると、君が身を持って我々に見せてくれた。君がこの先、「地球人」としてこの地で生きて行けるのか、サンプルとしてこれからも見守らせてもらうが、過度な干渉はしない。
(では、これからの任務内容は)
――ー自由に、君の思うように、人生を生きることだ。
(……はい)
―――さあ、偵察体 96-467号、いや、彼方くん。君は、「5年間の海外留学から戻ったところ」だ。いいね。
私達は、これまでの君の働きに感謝しているよ。これからの君の人生が明るいものになることを祈ろう。
祈るなんて、合理的な彼らに「神」なんて存在はないのに、と、思わず笑ってしまうが、その言葉を最後に司令官からの通信が途切れた。
(……ありがとうございます、司令官)
もう届かないであろう感謝の言葉を送り、彼方は真斗と莉麻に視線を移した。
「今日戻って来るって、なんで連絡くれなかったんだよ」
真斗の言葉に一瞬戸惑うが、司令官の最後の言葉が、今度は失敗せず「事実になった」事に安堵する。
(僕は5年間、海外留学に行っていたと、ふたりの記憶も書き換えられたのか)
「いやぁ、ほら、到着が夜になるから、明日びっくりさせようと思って」
ありきたりな理由を作り上げて笑って見せる。真斗は不満げではあるものの、納得したように「水臭い」と呟いている。だが、莉麻は何も言わずにじっと彼方を見つめていた。
心を見透かされそうな気がして落ち着かず、彼方はつい、誤魔化す言葉を探してしまう。
「……なにか、理由があるんだね……」
ぽそり、と呟く莉麻の声は、かろうじて彼方に届いた。
「えっ……」
「ううん。なんでもない。おかえり、彼方」
彼女らしい笑顔で彼方を見上げる莉麻。空はいつの間にか雲が途切れ、星が瞬いていた。彼方を見上げる莉麻の瞳も月明かりが映り、煌めいている。
5年前から変わらない、素直でまっすぐな心を向ける莉麻。
(もしかして、彼女の記憶は書き換えられていない……?)
それでも、それ以上追求しない彼女の優しさに、想いは募る。
「うん、ただいま。逢いたかった」
思わずこぼれた言葉に、にわかに莉麻の頬が染まった……様に見えた。
(そうだ、僕は「海外留学から戻った」んだったよね。なら少し大胆になっても可笑しくないよね)
ふと、いたずら心が芽生える。
「ねぇ、真斗と莉麻は付き合ってる訳じゃないんだよね?」
「つ、付き合って?! ないない!」
月明かりでも判るくらいに、莉麻の頬は真っ赤だ。そんな姿がますます愛らしい。
「真斗から告白とかされなかったんだ?」
「ないないない!」
「お、お前、戻った途端に何言い出すんだよ」
力いっぱい否定する莉麻に軽く傷つきながら、真斗も声を上げる。
……これは……この5年、何も進展してないってことだろうな。真斗らしくはあるけれど、ライバルに付け入る隙を与えている事に気がついているのかいないのか……。
「そっか。……真斗、ごめん」
「え?」
彼方は莉麻の両手をすくい上げるように持ち上げ、そっと包み込む。
「離れている間、ずっと君が僕の心を救ってくれていたよ。莉麻、僕は君が好きだ」
「えっ!」
「なっ!!」
違う意味で固まるふたりの姿に、彼方はつい笑ってしまう。
「さ! もう帰ろう! 家に!」
切り替えるように、ふたりの肩をポンと叩く。
「そうだ! 早く帰らないと、おふくろさん心配してるって!」
思い出したように、真斗も莉麻を急かして歩き出す。
「え、あ、う、うん」
促されて歩き出す莉麻の後ろを、彼方がついていく。
先頭を切って歩く真斗の後を莉麻が追い、しんがりを歩く彼方。昔からこの順だったな、と、思い出して懐かしむ。
「あの、ね、彼方、さっきの……」
ふと、莉麻が振り返り、彼方に話しかけるも、口ごもってしまう。
「いいよ莉麻、答えは急がないから」
困らせたい訳じゃない。
「……少しだけ待ってて。ちゃんと返事、するから」
「うん」
本当は、君が幸せであれば何だっていい。僕は君の記憶から消えて、いなくなる筈だったのだから、また言葉を交わせるだけで、気持ちを伝えられただけで充分なんだ。
でも、もしも君が僕の気持ちに応えてくれたなら……。
君にだけは、僕のことを話そうと思う。
彼方は、これから新たに始まる、不確定な未来に思いを馳せるのだった。
<Fin>
【あとがき】
この作品は、2024年11月3日にSNS「タイッツー」のエアイベント「タイッツー文化祭」での、タイッツー文芸部主催の企画参加作品です。
■企画趣旨
『同じ書き出し、それぞれの物語』
共通の序文からそれぞれ独自のストーリーで書く。
ヒロインの名前もお揃いにする。
というもの。
▶https://taittsuu.com/users/tdtdcpg/status/19385793
冒頭の、水色の部分がお題の書き出し箇所となっております。
11月3日に向けて、とりあえず見切り発車で書き始めたものの、久しぶりに文章を書いたのと、仕事の関係もあって、11月3日の時点では序盤までしか書けず、「いつ終わるか解らないけど持ち越し」に。
その後、なかなか手をつけられないままでいたのですが、2025年2月23日にタイッツーで開催される、エアイベント「タイコミ Final」に合わせて、再度文芸部の企画として再掲するというお話が出たため、ならばそれまでに完結させるべし!と、なんとか(やっつけですが)完結まで書き上げた、という代物でございます。
あー……自分の文才と語彙力のなさに打ちひしがれること幾数回……。
でも、物を創るというのは、やっぱり楽しいです。
なかなかに苦しみもしましたが、楽しく書くことが出来ました。
ただね、当初はあまり考えてなかったんですが、結局ただの恋愛ものになっちゃって。
なんつーか……所詮は「少女漫画脳」なんだな、と思いました。
悪いことではないけど、深い話が書けないねぇ。困った困った。
ともあれ、少しでも楽しんでいただけたら、それに勝る喜びはございません。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
2025/2/11 このみあき