昨晩「無駄に長い日記」と「雑記」表示時の表示(SKIN)を入れ替えてみました。現在は
「日記」→バレンタイン天使の二人
「雑記」→鈴蘭ちゃんと日與川君
になっています。ただし、左メニューからそれぞれ日記/雑記を選ばなければ(カテゴリを選択しなければ)キャラSKINでは表示されません。
そして、本日午前中に雑記のタイトルをちょっとだけ変えてみました。「雑記」だけでは味気ないので、前から変えようと思っていたので。
…でも、これらの変化に気付かれた方って、どれくらいいらっしゃるんだろうなぁと。うーん、というか、これらの変化に気がついて、何かを感じた方(心に留めた方)がどれくらいるのかな、っていう意味なんですけど。
前から言ってますが、ウチのサイト、運営者側(私)はイラスト中心サイトと「思って」運営してますが、多分きてくださってる方の大半は私のイラストなんてこれっぽっちも興味ないんだと思うんです。イラスト描こうが、SKIN変えようが全く反応なしですから(笑)それはもう、「全く興味がない」っていう意味なんだと私は受け止めてるんです。
言ってしまえば、私が絵を描こうが描くまいが、ここに来られている大半の方は全く関係がないのだと。
とするならば、SKINのキャラを変えようがキャラSKIN自体をやめようが、見た目が変わったことには気がついていても、それに対して何ら思わない、っていうのが実情なんだろうなと(笑)いや、むしろ開く場所を選ぶのでキャラSKINやめるのが一番喜ばれるかも知れないですが。
「日記」→バレンタイン天使の二人
「雑記」→鈴蘭ちゃんと日與川君
になっています。ただし、左メニューからそれぞれ日記/雑記を選ばなければ(カテゴリを選択しなければ)キャラSKINでは表示されません。
そして、本日午前中に雑記のタイトルをちょっとだけ変えてみました。「雑記」だけでは味気ないので、前から変えようと思っていたので。
…でも、これらの変化に気付かれた方って、どれくらいいらっしゃるんだろうなぁと。うーん、というか、これらの変化に気がついて、何かを感じた方(心に留めた方)がどれくらいるのかな、っていう意味なんですけど。
前から言ってますが、ウチのサイト、運営者側(私)はイラスト中心サイトと「思って」運営してますが、多分きてくださってる方の大半は私のイラストなんてこれっぽっちも興味ないんだと思うんです。イラスト描こうが、SKIN変えようが全く反応なしですから(笑)それはもう、「全く興味がない」っていう意味なんだと私は受け止めてるんです。
言ってしまえば、私が絵を描こうが描くまいが、ここに来られている大半の方は全く関係がないのだと。
とするならば、SKINのキャラを変えようがキャラSKIN自体をやめようが、見た目が変わったことには気がついていても、それに対して何ら思わない、っていうのが実情なんだろうなと(笑)いや、むしろ開く場所を選ぶのでキャラSKINやめるのが一番喜ばれるかも知れないですが。
…それよりも何よりも、そもそもキャラSKINで普段から表示されてる方はどれくらいるのか、って感じですよね(笑)多分、RSS読んで来られてる方は間違いなくキャラSKINの存在すら気づいてないと思いますし。元々サイトのTopから入ってこられる方向けに作ったものなので、無理にキャラSKINで表示していただく必要もないんですが(笑)アクセス解析とか見てると、キャラSKINで表示される条件を満たした状態で記事を見てる方の方が圧倒的に少なそうさなぁって思ってるんですよ。でもNucleusで1ブログ内でカテゴリごとにSKIN指定は出来ないので、条件分岐で無理に変えるしかない以上、この仕様しか思いつかないんのでいいんですけど。
それにもう別に、きてくださる方が絵に興味が全くないならないで、全然構わないと思ってるんですよ(笑)無理に何か反応していただくのも心苦しいですし、絵以外の部分で何か、訪問くださった方が気になる(願わくば気に入る)ものを見つけて下さったなら、それだけで嬉しいなぁと思うんです。
なので、今回書きたかったことは、反応がない云々という愚痴的な話ではなくてですね。
キャラSKIN変えたのにどれくらいの方が気がついたのかなぁ(笑)って思ったときに、ふと気になったことなんですけど…
実際のところ、訪問者の方々っていうのは、サイトやブログを通してその運用者のことを、果たして見ているのかな?っていう素朴な疑問を抱いてしまったりして…。
うーん、どういうことかというと、例えば私のサイトを例にとっていうと、訪問者(の大半)はここに別に絵を見に来るわけではないのですから、ここの管理人が絵を描かなくなろうが、同人辞め様が、全く関係がない訳です。ただ日記や雑記に書かれている記事をみて「へぇ、そうなんだ」と思ってお終い。でも、それが当然だし、それでいいとも思います。だって、大半の人の場合、その「記事の向こうの人」は「知らない人」(自分に関係のない人)なわけですから。
日記や雑記の記事だけ読むということは、「読み物として」とか「何かの情報を得るために」テキストを読んだりする訳ですよね。でもその「書き手」のことを気にしてる人は、意外と少ないのかも?という気がしたんです。
例えば、オフラインで友達だったり、面識があったり、面識はなくてもオンラインでコメントやメール等のやりとりで交流があったりと、一対一でのやりとりが発生している人の場合は、サイトやブログを通して相手を見ていると思うんですが、何の交流もない場合って、相手(管理人)を「一個人として見る」要素が薄いんじゃないかなと。単なる「文字情報」として記事を閲覧する、っていう感覚の人も多いんじゃないかなぁって思ったりしたんです。
それが悪いと言うわけでは、勿論ないんですよね。これだけブログやらサイトやらが氾濫してる時代ですから、例え個人サイト、個人ブログであったとしても、渡り歩いて見ている上で、「書き手を知る」まで読み込まないサイト(ブログ)があっても可笑しくないし、ざっと渡り歩いているレベルで、管理人を深く知る必要はないとも思うので…。
偶然立ち寄った所でも、気に入れば通うようになり、徐々に知るようになるものなのですから。
で、それでふと思ったことは、閲覧者は書き手を見てるわけではないならば、書き手がこっそり入れ替わってても気がつかないんだろうな、と。
ネットって相手の姿が目に見えるわけではない世界ですし、昔から「ネカマ」なんて人が存在してたんですから、「誰かになりすます」なんて簡単な事なんだろうなって思うんですよね。ちょいと人の文体を真似るのが上手かったりすれば、きっと違和感なく入れ替われちゃうんだろうなと…。実際に「複数管理人」という非常にポピュラーな状況もありますし、ホントに「影武者」である場合も考えられるんですが、犯罪的に「のっとり」だとか、「なりすまし」っていう事も考えられなくはないんだなぁって…思って。
例えば私の日記に「やっぱり思うところあって、絵を描くのも同人も辞めました」とか書いてあったとしても、それを見た人はその言葉をそのまま受け止めますよね?誰もそれを、「本当に本人が書いてるのか?」って疑いませんよね?
ブログやサイトを更新するためにはIDやPasswordが必要になりますが、そういうものだって、手に入れる方法はあると思いますし。何事も万全ではないと。
ネット上だと「その人が本当にその人である証明」なんてないし、「その人が誰であるか」なんて認識さえもされてないこともあるんだなぁって思ったら、何だか「人」自体が薄っぺらい存在に思えてきてしまいます。
…だからこそ、「発言」して「交流」しよう!とつい言ってしまうんですよね(^_^;)
でも、「今」ここでこんな事を書いている「あたし」が「誰」か、なんてことを、気にする人も、認識しようとする人も、きっと多くはないんですよね。
多くの人にとっては、「ネット上に膨大に存在するのただのテキストのうちのひとつ」でしかない。
…うーん、だから広大で沢山の人が出入している筈の、ネットの世界にいながらも、言い様のない孤独感や孤立感を感じるんですかねぇ。
深く考えると不思議な世界ですよね(笑)
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